洲之内コレクション
5月16日。承前。東北の旅補遺②。東北の旅補遺として宮城県美術館のことを書きながら、そこで見た洲之内コレクションのことを書き忘れていた。洲之内徹(1913-1987)の没後、その所有する美術作品が宮城県美術館に収められたのは1988年のことだった。その後、何度かコレクション展が開かれたのは知っていたが、東北は遠いという概念があって、(なにしろ西九州の生まれなので、箱根より向こうは遠国なのです)、観る機会がなかった。もちろん洲之内徹が残したエッセイ集は手元にあり、それらに掲載された写真でコレクションのおおよそは知っていたのだが。このたび宮城県美術館を訪ねて、常設展の会場でコレクションの一部に会うことができた。また館内のミュージア
ムショップで、1994年に開催されたときのコレクション展のカタログを手に入れることもできた。このたびの東北旅行の一番のお土産である。
昨日、地下鉄の駅を出たところ、目の前に募金箱を抱えた高校生たちがずらりと並んでいた。「東日本大震災の義援金をお願いします」と一斉に声を上げている。しかし雨が降っているせいか、みな足早に過ぎて、募金箱に近づく人はあまりいないようだった。背後を歩く二人組からは、こんな声も聞こえた。「もうあちこちでずいぶん義捐金に応じたよ。あのお金はどこへ行ったのかしら」。「赤十字でも大半は人件費などの経費に消えるというし」「震災復興の宝くじも、1100億円の売り上げがあったそうだけど、被災地にいくのはたった150億円だというよ。配当や経費を差し引いても少なすぎる」。というようなことを早口の京都弁で話しておられました。「義捐金は渡したい相手に直接手渡すわ」とのことですが、同感。そのために私は東北へ行ってきました。そうそう、仙台の牛たん料理屋で会った広島からのご夫婦曰く、「東北応援に来ました。東北でたくさんお金を使って、それがわしらの東北応援ですわ」。ただお金を渡すのではなく、経済復興のために東北産のものをどんどん買う、みんなが東北へ出かけてお金を使う、そんなことのほうが現地の人には有り難いのではないでしょうか? というわけで私も当分お酒は東北のものにしています。いま手元にあるのは「一の蔵」と「浦霞」です。
写真下は常設展示されていた長谷川潾二郎の「猫」。ここでこの作品に会えるとは思ってもいなかったので、ちょっとした衝撃でした。もちろん嬉しい衝撃です。うっとりと(この猫のように)長いことこの絵の前に佇んできました。潾二郎は長谷川四郎の兄です。






















城と白石城の二城が許され、明治維新まで片倉氏の居城となったというから、相当に重要な城(位置)だったと思われる。私は戦国時代に関しては蒙昧なので、片倉小十郎に関する知識はゼロに等しい。以下はここで仕入れた知識。城は1995年に復元されたものだが、その動機となったのはNHKの大河ドラマだったらしい。このドラマで、伊達正宗を支える片倉小十郎(西郷輝彦が演じたそうです)が見直され、町のシンボル再生ということになったらしい。伊達正宗にはエピソードが数多あるが、中でも有名なのが秀吉の小田原征伐のさい、真っ白の死装束で遅参したというもの。伊達内部にある反豊臣の声を抑えて、小田原参向を勧めたのが片倉小十郎だった。よき守役であり、先を見る目を持った軍師でもあったようだ。城跡は地元の人たちのよき憩いの場となっていて、この日も花見客が大勢桜の下で寛いでいた。城は小ぶりながらその復元に際しては発掘調査を重ね、史実に忠実に木造による復元がなされている。しかし震災で壁が剥げ落ち、城は連休後、修復工事のためしばらく閉館となるそうだ。維新後、片倉家の旧家臣たちはすべてを失い、農民となるか士族として生きるか選ばなければならなかった。士族として生きる道を選んだ人たちは開拓者となって北海道へ渡った。そのときの移民船が咸臨丸。彼らの苦難の日々はいまも語り継がれ、札幌市白石区や登別に名を残している。 維新は東北の藩士たちにはずいぶん惨いものであったようだ。
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