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2009年7月 6日 (月)

山中や

Photo  7月6日(月)早朝小雨、のち晴れ。週末を山中で過してきた。往きは高速で真直ぐ加賀まで走り、帰りは三国経由で越前海岸をゆっくりと戻ってきた。越前海岸を走るのは久しぶりのことだったが、道路沿いの海辺にはずっと磯遊びや海水浴の人たちがいて、もう梅雨明けかという気分になった。いつも見ている大阪湾や瀬戸内の海とは違って、越前の海は透明でそれは美しい。久しぶりに磯の香を満喫してきた。加賀では大聖寺の硲伊之助美術館や加佐岬にあるギャラリーなどを訪ねて、硲伊之助の作品(油絵や彼が絵付けしたやきものなど)をたっぷり見てきた。加佐岬の周辺には平家物語ゆかりの史跡が数多くあり、また、『奥の細道』でPhoto_2 芭蕉が歩いた跡もそこかしこにある。加賀は私にとって、何度でも訪ねたい土地なのである。

 「山中や菊はたをらぬ湯のにほひ」芭蕉

 定宿がある山中温泉に着くと、ちょうど七夕まつりのイベントの最中で、町の中央の、町営の湯がある広場では、青空ライブがあっていた。金沢から来たという若い女性4人によるジャズの演奏で、これがなかなか聴けるもの、「朝日のごとくさわやかに」「フライミーツゥザムーン」「ウエイブ」「ムーンリバー」などスタンダード・ナンバーの数々を楽しませてもらった。ボーカルののびやかな声もいいが、クラリネットの演奏もよかった。

 町を流れる大聖寺川沿いは鶴仙渓と呼ばれる景勝で、この上流の山手に古九谷の窯跡がある。写真上は鶴仙渓に設けられた川床。京の鴨川の床にならって作られたものだろう。ただしここで供されるのは喫茶のみ。下は加佐岬から山中へ向う途中にあった蓮畑に咲いていた蓮の花。広い畑いちめんに花が咲いていた。そういえば加賀蓮根はこの地の名物ではなかったかしらん。

 ●旅先で梅原猛『京都発見⑨ 比叡山と本願寺』(新潮社)を読了。6年続いたこのシリーズ最後の巻。著者いわく、「私はやはりもう一度、親鸞研究は『教行信証』の原点に帰らなければならないと思う。『教行信証』の深い理解なくして、真宗学はありえない。『教行信証』には、近代を乗り超える思想が含まれていると思う」。

2009年7月 4日 (土)

岡山行き

Dsc04322  7月4日(土)曇り。昨日、岡山へ出かけてきた。岡山県立美術館で開催中の「朝鮮王朝の絵画と日本」を見、隣りのオリエント美術館で「ユーラシアの風」展を見てきた。若冲や応挙、うんと下って鉄斎や芹沢銈介などの作品と、それらに影響を与えた朝鮮美術が並べて展示してある。文字絵や虎の絵、若冲のモザイク画など、初めて見るものもあって、なかなか面白い展覧会だった。なかに、朝鮮の民画というのか、非常にプリミティブだけど力強い絵があって、心ひかれた。美術館をはしごした後、伯備線のスーパーやくもに乗り、備中高梁へ。ベンガラの町並みで有名な吹屋へ行こうとしたが、バスは無し、タクシーだと小一時間かかるというので、吹屋行きは諦めて市内を散策す。江戸時代の武家屋敷が残る通りがあり、Dsc04325 その一画に明治22年建築というキリスト教会があった。明治13年に新島襄が訪れたこともあり、この地のキリスト教布教の中心となったところという。ここから教育者福西志計子や、北海道遠軽・家庭学校の留岡幸助などが育った。近代岡山は多くの社会・福祉事業者、教育者を輩出しているが、キリスト教の影響は少なくないようだ。

 左は天柱山安国頼久寺(臨済宗)の庭。父の死後、ここ備中松山城を預かった小堀遠州の作という。背後の山(愛宕山)を借景にした枯山水。この庭もいいが、裏庭の佇まいもよかった。小さな池があるだけの狭い庭だが、トンボが舞う池には蓮とコウホネの花が咲き、ときたま蛙とウグイスが啼き交わすだけの静寂が、心地よかった。こんなところで一夏をすごしてみたいものだが。

生きてある身の

Dsc04315  7月2日(木)曇り。久しぶりに夕焼け空を見る。写真は午後7時半過ぎの京都の西空。愛宕山には雲がかかっていたが、空はしばし茜色に染まった。ふと、「夕焼や 生きてある身の さびしさを」(花蓑)という句を思い出す。

 ●横川公子編『大村しげ 京都町家ぐらし』(河出書房新社 2007年)を読む。寺町姉小路あたりをを歩くたびにここを東に入ったところに大村しげさん(1918-1999)が住んでおられたのだなあと思う。若い頃、「暮らしの手帖」に連載されたこの人の文章を親しく読んだ記憶がある。京暮らしのあれこれ、京のおばんざいのあれこれなど、母親の話を聞いているような気持で読んだものだ。私が京都に来たとき、しげさんは脳梗塞で倒れ、療養のためバリ島へ移られたあとで、姉小路の家にその姿を見ることはできなかった。Dsc04311 その後もバリ暮らしなどを綴った本が出たが、1999年、バリ島で帰らぬ人となった。彼女を慕う人たちがいて、献身的なサポートを受けたという。彼女の遺品である家財道具は国立民族博物館に寄贈されたが、その量は2トントラックで5台分もあったそうだ。昭和の庶民の普通の暮らしを語る材料になるからと、チビた下駄も捨てないでいたというから、われわれから見たらゴミのような類のものも大量にとってあったのだろう。年々、身の回りから消えてゆく、さまざまな手仕事を大事にしたのも、京都人らしい見識だろう。京都は手仕事の町、職人の町、その仕事ぶりは半日見ていても飽きることがない。

 写真上は2日の夕焼け。下はヘクソカズラの花。名前とは裏腹に可憐な花です。

2009年6月30日 (火)

夏越の祓

Photo  6月30日(火)曇り。今日は夏越の祓で、各神社には大きな茅の輪が設けられる。参詣者はこの輪をくぐって、半年分の穢れや厄を祓うことになっている。最近は全国各地でも行われているようだが、私は京都に来てから初めて体験した。写真は松尾大社の茅の輪。

 早いもので、今年も半年が過ぎた。

「時こそ今は花は香炉に打薫じ

そこはかとないけはひです

しほだる花や水の音や、

家路をいそぐ人々や。

いかに泰子、いまこそは

しづかに一緒に、をりませう。

遠くの空を、飛ぶ鳥も

いたいけな情け、みちてます。」

           中原中也「時こそ今は・・・」『山羊の歌』

 水無月のつごもり、といえば必ず思い出す話がある。「むかし、男ありけり。人のむすめのかしづく、いかでこの男にものいはむと思ひけり」で始まる『伊勢物語』の32段。親に大事にされていた娘が男に思いを寄せて、恋患いで亡くなってしまう。そのことを聞いた男が娘の邸を訪れて、飛ぶ蛍に亡き人を偲ぶという話。ごくごく短い語りの中に、静かな追慕の念がみちて、こまやかな鎮魂の章となっている。蛍は昔も今も死者の魂を思わせるもの、また、わが身よりあくがれいづる魂でもあった。今年は疏水の蛍を一度見たきり。冥界からの贈物のような冷たい蛍の火。夜が闇だったころはもっと雄弁に語ってくれただろうに。

 ●北沢恒彦(1934-1999)の『隠された地図』(クレイン 2002年)を読了。著者は『明るい夜』の作者・黒川創の父親。作家・秦恒平の実兄でもある。この人のことはこの本で初めて知った。巻末に収められた年譜を読み、そうだったのか、と納得すること多し。市役所職員にしてベ平連の会員、「思想の科学」の編集者、そしてすぐれた町の観察者でもあった。個人ジャーナル編集工房「SURE」主宰。村上春樹の『ねじまき鳥のクロニクル』に感動し、井上八千代の京舞に魅せられ、自転車で各地を疾走す。一言では語れぬ人物なり。

2009年6月28日 (日)

鴨川の床

Photo  6月28日(日)晴れ。昨日は鴨川の床で夕食。昨夜は爽やかな風が吹いて、床での食事は心地よかった。私たちは鮎や湯葉の京会席をいただいたが、隣の床はフレンチレストランで、結婚式の二次会があっていた。花が飾られ、ドレス姿の女性たちで、なかなか華やかな様子。最近、鴨川の床も新しい店が出て、ずいぶん様変わりした。洋食の店が増え、そのせいかテーブルと椅子席が目立つ。そういえば祇園の座敷でも堀炬燵式が増えた。床に行く前にジュンク堂で本をいくつか。

●半藤一利『昭和史』(平凡社ライブラリー)、

●倉本一宏『御堂関白記現代語訳』上・中(講談社学術文庫)、

●米原万理『打ちのめされるようなすごい本』(文春Photo_2 文庫)、

●サルトル『自由への道』(岩波文庫)、●徳永康元『ブタペストの古本屋』(ちくま文庫)。

 すべて文庫本。親本を持っているものもあるが、書庫のスペースの関係上、文庫本に入れ替えるのです。それにしてもサルトルの「自由への道」がいまごろ文庫になるとは。これも人文書院版を持っているのだが、気になって購入。

 来月発売の93号で、25年続いた地域情報誌「谷根千」が終刊となる。森まゆみという魅力的な書き手(行動派の)を輩出した地域情報誌の草分けだった。地方へ行くとよく「うちの町には歴史がない」と言う人がいるが、人が生活している以上、文化や歴史がないはずがない。どんな町にでも語り継ぐに値する歴史や文化がある。一人の人間の中に、世界が収まっている。人間の記憶が収められている。

 写真上は鴨川の床。三条大橋から北側を見て。下は近所の民家の前に咲いている百合の花。 

2009年6月27日 (土)

明るい夜

Dsc03905  6月27日(土)晴れ。2、3日前の夕方、TVのニュース番組に京都在住の作家・黒川創が出ていた。今年の「京都水無月大賞」に彼の『明るい夜』が選ばれたので、そのインタビューとのこと。「京都水無月大賞」とは初めて聞く賞だが、京都版「本屋大賞」みたいなもので、京都周辺に勤める書店員たちが去年から始めたものだそうだ。この賞の対象となるのは、「埋れるには惜しい文庫本」で、新刊書がすぐに消えてしまう現状を憂えて、というところがいい。黒川創はずいぶん前に文芸雑誌で『若冲の目』を読み、京都人ならではの作品だなと感心したことを覚えているが、その後、『明るい夜』を読んで、そのまったりとした感じに魅了された。京都の地名が印象的に使われる中、若者のとりとめもない不安や甘さがよく描かれPhoto ていて、余韻が残る作品だった。鴨川の出町辺りがたびたび出てきたが、インタビューによると、若いころあの近くにアパート住まいをしていたことがあるという。飄々とした風貌だが、以前、「思想の科学」の編集委員で評論も書いていたというから、硬軟とりまぜて書ける人なのだろう。先だって新作『かもめの日』で読売文学賞を受賞したばかり、これからがますます楽しみな人です。

写真上は出町柳付近の鴨川。左が賀茂川、右が高野川で、ここで合流して鴨川となります。三角洲の奥に下鴨神社があって、緑の樹叢は糺の森。この付近の河原は市民の憩いの場で、思い思いに寛ぐ人の姿が見られます。

2009年6月26日 (金)

京都空爆

Photo  6月26日(金)晴れ。1995年に京都へ転居してすぐ、異動届を出しに区役所へ行ったときのこと。区役所の場所がわからないので、タクシーで行った。いまは天神川御池に新築移転したが、当時の右京区役所は太秦にあった。国宝指定№1の弥勒菩薩像で有名な広隆寺の前を通るとき、運転手に「京都は戦争の時、焼けなかったから古いお寺や町並みが残っていいですね」というと、運転手いわく、「そんなことおまへんで。京都は戦争のたびに丸焼けになってますわ。この辺だって先の戦で焼けてもうてます。応仁の乱で」。京都人が「先の戦争」という時は気をつけるように、たいていは応仁の乱、近いものでも鳥羽伏見、禁門の変のことだとPhoto_2 聞いてはいたが、早速きましたね、と内心喜んだものだ。タクシーの運転手はきっと、「田舎ものを驚かせてやれ」とでも思ったのだろうが。京都の歴史は戦の歴史で、戦のたびに町が焼け、住民は難儀を強いられた。でも、第二次世界大戦の時は、京都には空襲はなかったと言われてきた。私もそう思っていたのだが、先だって上京区の辰巳公園(智恵光院通下長者上ル)にこんな碑を見つけた。

 それは「京都空爆被災を記録する碑」で、昭和20年(1945)6月26日、この一帯に空爆があり、即死者43名を含む109人が被爆、被災家屋292戸、被災者850人、などと刻まれている。また、京都は非戦災都市といわれるが、東山区馬町と太秦の三菱工場も同じように爆撃を受けた、とある。この碑が建てられたのは戦後60年目の平成17年(2005)のことである。戦後長いこと、京都には空襲はなかったとされてきたが、そうではなかったのだ。京都にも戦死者がいた。今日、6月26日は64年前、西陣に空爆があった日である。

 昨夜DVDに録画していたNHKハイビジョンの「プレミアム8 100年インタビュー 小澤征爾 西洋音楽と格闘した半世紀を語る」を見る。マエストロ小澤は見事な白髪になっていたが、100年後へのメッセージを問われて、「人類の叡智で戦争のない社会になっていてほしい。世界が今以上に近くなって、お互いに理解しあい人種問題など解決した地球になっていてほしい」。もう30年近い前のことになるだろうか、文化大革命が終ったあとの中国に渡り、向うのオーケストラを指揮してブラームスを演ったときのこの人の顔が忘れられない。オーケストラのメンバーはみな長いこと楽器に触れていなかったと思われ(文化大革命のとき、西洋音楽はブルジョア音楽として禁止されていた)、決して洗練された音とは言い難く、演奏者たちの表情もまだ曇りがちではあったが、何とも感動的な演奏であった。世界を駆け巡ってきた小澤征爾の言葉だけに、「戦のない世界への希求」がリアルに伝わる。

 写真上は西陣にある「京都空爆被災を記録する碑」。下はナツツバキ(シャラ)。

2009年6月25日 (木)

夏越の天神

Dsc04283  6月25日(木)晴れ。午前中、パソコンに向い、ひたすら仕事に専念。先ほど、遅い昼食をとっていると友人のKさんより電話あり。「いま、天神さんからの帰り。今日は夏越の祓で大きな茅の輪が出てましたよ」。そうか、たいていの神社では、夏越の祓の茅の輪くぐりは6月30日に行われるが、北野天満宮の場合、道真公の誕生日である6月25日なのだ。いまから行っても、参拝客が茅を抜いて持ち帰るから茅の輪の姿はあるまい。ニュースはどうかとTVをつけると、相変わらず人品卑しき国会議員たちが次の選挙の話をするばかり、即、スイッチを切る。高田保が『ぶらりひょうたん』に、「国民のことを考えるのが政治家で、次の選挙のPhoto_2 ことしか考えないのが政治屋」と書いていたが、いまは圧倒的に「屋」が多いので はないかしら。しかしそういう類を選んだのは選挙民なんだもの。

 京都市中央図書館の駐車場に大きな夾竹桃の木がある。いま、桃色の花が満開。夾竹桃といえば長崎の原爆公園の赤い花を思い出す。真夏の空の下で2、3ケ月は咲き続けていた。ナガサキの夏、原爆、夾竹桃の花、と私の中では、連想ゲームのようにつながっている。

 ●水村美苗『日本語が亡びるとき』(筑摩書房 2008年)を読む。12才で両親と共にニューヨークに移住したがアメリカに馴染めず、ひたすら改造社版『現代日本文学全集』を読んで少女時代を過ごしたという人。英語が世界の普遍的言語になりつつある現在、日本語がマイナーな現地語になってしまう前に、日本は「国民の一部がバイリンガルになるのを目指すべき」だという。一部エリートバイリンガルを育てる一方で、子どもたちにはもっと日本近代文学を読ませて、伝統的日本語を身につけさせるべき、だというのだが。文学をちょっと買いかぶりすぎではないかしら、と思いつつ読みました。

 写真の上は京都アスニー駐車場の夾竹桃。下は平安神宮の神苑。睡蓮が咲く池の丸い石は、三条大橋の石柱をリサイクルしたもの。この庭も明治の名造園師小川治兵衛(植治)の作。

burarihyoutann

2009年6月23日 (火)

水無月

Dsc04288  6月23日(火)晴れ。真夏日。友人のSさんと待合せて、東山を散策。梅雨時とて観光客の姿はまばら、桜や紅葉のときの混雑が嘘のような閑けさ。霊山辺りを一回りして、ガーデン・オリエンタルでランチ。ここはもと、日本画家・竹内栖鳳邸だったところで、いまは八坂の塔と東山を借景にしたイタリアン・レストランになっている。メインルームでパスタ・ランチをいただいた後、カフェラウンジに席を移して、デザートとコーヒー。Sさんとの語らいはいつも楽しくて、あっという間に時が過ぎてしまう。2時過ぎ、八坂神社前で別れた後、ジュンク堂で本をいくつか。大丸の地下で食品をいろいろ。北海道から直送してもらうハスカップジャムが切れDsc04286 たので、同じようなものを探すが無し。ハスカップジャムは現地でも品薄らしい。

 今日、6月23日は沖縄慰霊の日。本土防衛の犠牲となった沖縄での戦が終った日。私は長いこと観光のためだけで沖縄を訪ねるということができなかった。25年前、初めて訪れてからは毎年のように出かけているが、年々、沖縄が本土化していくのを寂しく思っている。だから沖縄に住む友人が手紙に「琉球国那覇市●●」と書いてくると、わけもなく嬉しくなる。沖縄戦での20万人を越す戦死者の半数近くは老人・子どもを含む一般市民である。●真尾悦子『いくさ世を生きて―沖縄戦の女たち』(筑摩書房)、●大石芳野『沖縄に生きる』(用美社)を再読。写真集『沖縄に生きる』の中の一節。「沖縄戦では三人に一人が死んだ。日本軍は住民を守らなかった。それどころか住民を虐殺した。沖縄の住民は二重に裏切られた。魂を傷つけられた人々の重く暗い記憶は<思い出したくもない>が本心であろう」。

 写真上は和菓子の水無月。下は東山の正法寺(時宗)。平安時代、光孝天皇の勅願寺だった霊山寺で、一時廃絶していたが、永徳3年(1383)に国阿上人が再興し正法寺と改称したもの。足利義満の帰依を得て、寺地8万坪、堂宇30を数える大寺だったそうだが、今は本堂と庫裏が僅かに残るのみ。しかし本堂前からの眺望はなかなかだった。庫裏の前に咲いた白いナツツバキ(シャラ)がいかにも侘しげで、場所にふさわしく思われたことだ。